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ITUYOGA

特定の流派には属さないハートオブヨガという理念を持ったヨガの先生。

非二元論、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの師、ラマナ・マハルシがヨーガについての所見を述べたら

ヨガ ヨガの哲学・歴史

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20世紀の聖者ラマナ・マハルシ*1。めっちゃすごいおじいちゃん。知らない人が見ると半裸のおじいちゃん。瞳がきれい。

精神世界とかスピリチュアル系の人に持て囃されてるけど、実のところ浮ついた神秘的な話ではなく、めっちゃ現実的な話をしています。あまりに高度すぎて勘違いされてるけど。

 

ゼロ意識とか宇宙意識とかなんやねん。知らんわ。

 

ぼくはスピリチュアルは忌むべきものとして扱いながら、現実的な観点からラマナ・マハルシの話を見ていこうと思います。

ヨガとスピリチュアルをごっちゃにしないのが、ぼくの流儀です。現実的で役に立つものであってほしいですね。

 

ラマナ・マハルシの教え

ヨーガに関する記述をいくつか抜粋。その要点を自分なりにかいつまんで所見を述べようと思います。ライトなヨガというより、けっこう頭を使う哲学的な内容です。

なにかとなにかを合一させるという誤解

  • ヨーガ(合一)
  • ヴィヨーガ(分離)

なにとなにが合一するのか。

誰と誰がひとつになるのか。

 

あなたから離れた何かがなければならない。

誰にとっての分離なのか。

 体と心を合一させるとか、なにかとなにかを一つにするとヨガインストラクターたちはいいます。

しかしラマナ・マハルシにいわせれば、合一するべきものなどないということです。

自分から分離しているものなどないのですから、合一しなければならないものはありません。

 

非二元論の立場にいれば、私とあなた。体と心などという二元論はそもそも存在しません。なぜなら「非」二元論なのですから。

 Q、ヨーガは必要でしょうか。

それはサーダナ、修行である。

カルマ、ジニャーナ、バクティ、パタンジャリのアシュタンガヨガがある。

分離という妄想が取り除かれねばならない。

その分離という妄想を取り除くのがヨーガ。

 ここでいうアシュタンガヨガはパタンジャリがヨーガスートラで説いたもので、現在知られているアシュタンガ・ヴィンヤサヨガ*2とはまったく違う。

そもそも分離などという問題がどこにも発生していないことに気がつくことがヨーガである。

ラマナ・マハルシの弟子、西洋の聖者ロバートアダムスもこういっている。

世界には秘密がある。問題などどこにもないことだよ。

つまり、問題などどこにもなく、分離などしていなかったということを思い出すための努力がヨーガである。

心と身体が分離しているという誤解。あなたと私という区別自体が誤りなのです。

呼吸の制御について

呼吸の制御は自己の中に深く潜るための唯一の助けである。

心が制御されたとき、呼吸も自然と制御される。

呼吸の制御は心の制御ができない者に勧められるもの。

呼吸の源と心の源は一つ。

 ヨーガは呼吸の制御のことだとマハルシはいう。

呼吸の制御、すなわちプラーナヤーマのことだ。ヨーガをたんなる体操だと思う人には全く縁遠いことだが、アーサナは動くプラーナヤーマといっていい。

アーサナがプラーナヤーマを助け、プラーナヤーマによって心は制御される。

そのとき呼吸の源が静まり、瞑想は始まる。そう、瞑想は練習しようとしてもできないもので、それが始まるのを待つしかない。

 瞑想とはひとつの想念に集中すること

瞑想とはなにか?

ひとつの想念に集中すること。

それ以外は消え去る。機が熟せば、その想念すらも消え去る。

 ある一つのことに意識を向け続けることが瞑想と呼ばれる状態。

それ以外の想念は自然と消え去る。そうしたら意識を向けていた想念も消え去る。

焚き火の火をかき回す木の棒のように、その棒すらも燃えてなくなるということ。

 ヨーガの目的について

パタンジャリのヨーガスートラは全てのヨーガ体系に適応される。

目的は精神的活動を停止すること。

その努力がされることがヨーガ。

 精神的な活動が停止することために行う努力がヨーガ。

そのため、人それぞれの気質に合わせてやるべき努力は少しずつ異なる。

 呼吸法で心を沈め、瞑想を行う

心を制御しているあいだ、気づきがあること。

呼吸法のあとに瞑想がある。パタンジャリが強調している。

これらは心を安定させ、想念を抑制する。

呼吸法のあとの瞑想が大切。

モルヒネでは解脱にはいかない。なぜなら気づきがないから。

 たんに心を停止するならクロロホルムモルヒネでも模倣ができる。

しかしそれでは意識が戻れば元の状態にもどる。そうではなく、瞑想という気づきながらも心が制御されてる状態が必要。

プラーナヤーマには2種類ある

プラーナヤーマには二つの種類がある。

  1. 呼吸を制御し調整する方法
  2. ただ自然な呼吸を見守る方法

割合や数を数えるながらの呼吸の調整は心を制御する助けとなる。正しい方法を師が指導するべき。

呼吸を見守ることもプラーナヤーマの形式のひとつである。こちらは危険を孕むことがない。

 前者はパワフルで、身体の状態を把握している指導者が不可欠。でないと危険もある。

後者はやさしく安全。ラマナ・マハルシもこちらの実践があるということを教えてくれていた。

ラマナ・マハルシはどんなアーサナが好き?

Q、バガヴァーンはどのようなアーサナで坐るのでしょうか?

ハートのアーサナである。どこであれ心地よく自然であれば、それが私のアーサナである。ハートのアーサナは平和であり、幸福をもたらす。真我に坐す人にとって(命の源にすべてを明け渡し、あるがままにある状態)他のアーサナは必要ない。

 アーサナは安定していて快適なものというのがパタンジャリのいうところだ。

これはどんな姿勢でもいい。心地よく、自然であればそれでいい。それ以外に必要なものはないとマハルシはいう。

身体の健康のためにやるというのであれば、やらせておけばいいという。

 

非常に難しい単語が多いんだけど、読んでいて新しい気づきがたくさんあるので興味がもてたら読んでみてください。

知らない人がみたら瞳がきれいな半裸のおじいちゃんです。 

あるがままに―ラマナ・マハルシの教え

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ラマナ・マハリシ: 真我を実現した偉大なる聖賢

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静寂の瞬間(とき)―ラマナ・マハルシとともに【新装版】

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*1:20世紀の解脱した聖者。アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の師

*2:20世紀にパタビジョイス氏が開発した若者向けのヨガシステム