自転車を漕いでいく。駐輪場に止めると学ランを整え、通学カバンを背負い直して、本のジャングルに出迎えてもらう。
たまたま運良く、密かに想いを寄せる人が雑誌をめくっていた。ぼくに気がついて、「よっ、柏原も本買いに来たのか?」とちょっとボーイッシュに声をかけてくれた。
隣に立って、少し話して読みたかった雑誌をめくる。アイアンマン*1を読み進めるが、隣の人に緊張して頭に文字が入ってこない。
そのまま雑誌を購入し、名残惜しいサヨナラの挨拶をして、ドキドキした気分のまま再び自転車にまたがった。
おかげで、その日は珍しく寝るまで上機嫌でいられた。
この記事を書く前に、ふと思い出した学生時代のエピソード。
なにかをしてくれるから好き、なにかをくれるから好きというのは違和感がある。
そうしてくれなくなったら好きではなくなってしまうのでしょうか?
そうは思わない。横に立って一緒にいるだけで幸せになれるように、「好き」に条件はいらない。
「あなたが生きているだけでうれしい」
好意的な感情の原点は、常に「あなたが生きているだけでうれしい」のだと思う場所に留めていたい。何かをしてくれるから好きだと感じる愛情は、簡単に「何かをしてくれないから嫌いだ」の愛憎に転じてしまう。真実は、お互いを固く束縛し合うものではなく「人間を自由にする」ものだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) August 23, 2016
理由をつけて愛を語る事はできない。坂爪さんの言うとおり、「生きているだけで嬉しい」という無条件の愛。
「助けてくれるから好き」とか、「おしゃれでかわいいから愛してる」という条件はつけない。
誕生日は、存在に対するお祝い
10月4日は柏原ゆうたの誕生日。ここ数日でいくつかの心のこもった贈り物が届いて、とても嬉しい。いずれ誕生日の後日報告の記事を書こうと思う。しばらく待っていただけると幸いだ。
誕生日って、生まれてきたこと、そこに存在していることに対するお祝いなんだと思った。
なにか特別なことをしたからではなく、生きているから祝う。そう、生きているだけで充分。
ちなみにプレゼントはAmazonほしい物リストから送ることができます。
いつでも募集しているので、祝いたいと思ってくれた方はぜひ。
仙人ぽいって言われてきたので、ちゃんと物欲をオンにして生きていこうと思います。
実はわたくし、今日が誕生日です。四捨五入したら30歳になります。もしよければプレゼントをください。お願いしますヽ(;▽;)ノhttps://t.co/Fy4pi1afAJ @AmazonJPさんから
— 柏原ゆうた (@YutaKashiwabara) October 3, 2016
自分に対しての無条件の愛
特別なことをしなくても、ぼくはぼくを愛する。 「毎日、ブログを休まず更新するぼく」よりも「ただ生きているだけのぼく」を愛する。
まずは自分を無条件に愛することができるようになることが、スタートなんじゃないかな。
それができてからのほうが他人に対しても「ああ、ここにいてくれて嬉しいなあ」と思うことが簡単になる気がする。
好きという感情は、原動力
好き。が言えなくて他のたくさんの言葉と行動を身につけた。
— 炭酸ちゃん。 (@tan3channel) October 1, 2016
良くも悪くも。好意は原動力になりうる。冒頭のお話は高校生のときのことなんだけど、彼女の話しかけるために勇気をもって行動や会話をするようになったんだよね。
今のぼくからは想像できないほど、ものすっごい奥手だったから言葉をかけるだけでも緊張しまくってたんだよね(笑)
たぶん声とか震えてたと思う。頭の中まっしろだったし。
そんな奥手なぼくでも話しかけようとするくらい、徐々に自分の考えを発信できるようになったんだ。大成長だった。いまでも彼女の存在に感謝している。
ちなみに恋を実らせる前にお互い卒業しちゃったんだけど、今のぼくならきちんと思いを伝えてると思う。
ちゃんと面とむかって「好きです」と言える自信がある。まあ、声は震えるかもしれないけど(笑)。
命は肯定そのもの
短期的にみて快楽に感じられても、不誠実な行いは自分を苦しめるようになる。
世界中に暴力や盗みはよくないというメッセージの童話が数多くあるのは、子どもの頃から忘れないでおくためじゃないかな?
誰かが肯定するまでもなく、人はあるがままに存在しているわけで。
— 柏原ゆうた (@YutaKashiwabara) October 1, 2016
否定されようが肯定されようが、そこに存在することを神さまに許されているんだと思う。
だから、生きているすべての存在は生まれながらに肯定されているってことなんじゃないかな。
誰かがジャッジせずとも、あなたは「肯定」が形になって現れた偉大な命。
「肯定そのものである命への冒涜は、苦しみを生む」
このメッセージは昔から世界各地で伝えられている。
あなたの尊さを再確認させてくれる人
尊いおこないに涙を流すとき、あなたはあなた自身の尊さをそこに見ている。
— 柏原ゆうた (@YutaKashiwabara) October 1, 2016
人に美しさ*3を感じ取るとき、同時に自分の命の美しさを感じている。
そういうことをヨガの先生*4がいっていた。
徳を感じられる行いを目にしたとき、それを美しいと感じられるあなたの良心。
きっとその美しさは自分の命の美しさそのもの。
人に尊さを感じるとき、あなたの尊さを感じ取ることができる。
自分の尊さを再確認させてくれる人だから、もっと尊敬できる。
愛を煮詰めて固めたら、あなたになる
愛は思ってるより深いとこから来る。むしろ、愛そのもの。
— 柏原ゆうた (@YutaKashiwabara) October 1, 2016
愛を煮詰めて固めたら、人間になる。
母親が子を産むことって、きっとそういうことが目に見える形になったことだと思う。 https://t.co/JFBdxGHx51
目に見える形となった愛は、出産のような命の誕生なんじゃないか。
男性性と女性性がめぐりあい、たがいの手を取り合って新たな生命を生み出す。
愛以外になんて呼べばいい?なら、あなたは愛そのものじゃないか。証明おわり。
ただ、存在するだけですばらしい
ただ、そこに存在しているだけで、途方もなくすばらしい。命って、それくらいやばい。 https://t.co/tHxt7BEPXB
— 柏原ゆうた (@YutaKashiwabara) October 1, 2016
愛そのもの。奇跡以外のなにものでもない。
ただそこに存在するだけで、あなたはすばらしい。
ただ、それだけを伝えるためにこの記事を書かせてもらった。
もし、自分のことに不安を覚えるのなら
人生相談みたいなことをしています。
ぼくは大学でカウンセリングの講義を受けるのが大好きでした。人の悩みを上手に紐解いてあげられる心得を知ることができました。
もし、なにか困っていることがあればご相談に乗りましょう。
愛を伝えられる講師を育てています
テクニックではなく、愛を伝えられる講師になってほしい。
ただテクニックや知識を学ぶだけなら、ヨガの講座ではなく専門書や学者の講義を受けたほうがいい。
どうしてヨガの先生のコンサルティングをしているかといえば、それは愛のある講師を増やしたいから。
このコンサルティングは決められたカリキュラムはなにひとつありません。
アドバイスもテキストもあなたに合わせて完全なオーダーメイドの内容です。
話したアドバイスはテキストにしてお渡しするので、メモをガリガリかく必要もありません。
深い愛を自分自身に与えられる時間
自分自身の尊さ、すばらしさを実感する時間として。
自分のことをなかなか尊いとか、すばらしいと評価できる人はいない。
このヨガのプライベートレッスンは完全に自分だけと向き合える。その中で自分のすばらしさを再確認することが可能だ。セミプライベートのレッスンももちろん募集中。
こちらにご連絡ください。
kasiwabara2013@gmail.com
実際にいただいたギフトに関する記事
最初に頂いたギフト。ブログを移転するときにレポートを送ってもらった。Amazonほしい物リストで贈り物をするときの方法はこちらに書いてあります。
そのあとに顔ヨガの本、トリアージの本が届いた。あと、舌を掃除するタングスクレーバーも。
睡眠に関する本から得たインスピレーションで、こんな記事も書いた。
あなたの贈り物は、ぼくのかけがえのない知識となり、世界へ公開され、他の人たちへ還元されていく。善意が螺旋を描いて世界をよくしていく。
ありがとう。